肚を決める。
(前日からの続き)
この日も朝からMさんがいろいろ案内してくれることに。
僕たちもここ(長崎県西海市西彼地区)を重点的に当たろうと決めていたので、2日目も付き合って下さるのはとてもありがたい。
まずは社会福祉法人の理事長の女性に会わせて頂いた。
施設に併設して、できたてピカピカのまるでマンスリーマンションのような寮があり、少しでもここの社会福祉法人でアルバイトをすれば格安で入居可能だそうです。
Mさんも、まずは気楽にここから始めてもいいのでは、ということで紹介してくれました。
ありがたいお話だったけれど、僕たちはあの空き家に住みたいと思っていたし、農機具置き場や出荷調整のスペースが必要という点でも、寮に入る選択肢はありません。
ただ、寮に入らなくとも送迎や洗濯、食事補助などのアルバイトはあるとのこと。
最初は週3日程度アルバイトをしながら就農しようと考えているので、この話は願ってもない吉報。
続いて来年度で閉校となってしまう小学校の校長先生のところへ。
Mさんと校長先生は閉校後の学校の有効な活用方法がないものか話し合っていました。
お手洗いを借りる際に廊下から教室の中が見え、
『机ってあんなに小さかったけな。』
とノスタルジックな気持ちになりました。
それから空き家のある集落の神社へ行ってお参り。
堂内には立派なお雛様が飾ってあり、生き生きとした地域コミュニティの息遣いが感じられました。
その後、イチゴの観光農園と加工品が食べられるカフェをしている農業法人の代表取締役の方にご挨拶。
面白いことをしている人がこんなにいるんだと驚く一方、重ねてビックリなのはMさんの顔の広さです。
人脈が半端じゃありません。
いろんな方への挨拶まわりが終わり、Mさんは息抜きにと気を使って下さったのか、
「どこか観光で行ってみたいところはありますか?」
と聞いてくれたのですが、
生真面目な僕は、
「この辺で堆肥をつくっている所があれば見てみたいです。」
というバカ真面目な答えをしてしまいました。
ということで堅物のつまらないリクエストにも快く応えてくれ、堆肥センターを見学。
牛糞とバークを半年間かけ堆肥化させていました。
エアレーション(常時空気を送る装置)もあり、しっかり発酵させた完熟牛糞堆肥が手に入りそうです。
これは嬉しい。
最後に西海橋のたもとにある物産館の所長さんにご挨拶。
西海橋。
(おハナさんは高いところが苦手なのでへっぴり腰でした。)
不気味にそびえたつ3本の塔は針尾無線塔。
太平洋戦争の引き金となった真珠湾攻撃の暗号文「ニイタカヤマノボレ1208」がここで中継されたと伝えられています。
物産館に併設されたレストランで一緒にお昼ご飯を食べてMさんとはお別れ。
本当に本当にありがとうございました。
お世話になりっぱなしでもう足を向けて寝れません。
帰宅後何日かじっくり考え、おハナさんとも話し、師匠にも相談し、肚を決めました。
良い空き家と良い農地が借りられる、そして良い人たちとも巡り合えた長崎県西海市の西彼地区で新規就農しようと思います。
今後、空き家の家主さんと細かい点で話を詰め、Mさんと借りる農地について話を詰め、9月前後の引っ越しに向け準備していきます。
あれもこれもしなくては、と気がはやりますが、こういう時に大事なのは原点回帰。
そう、僕は今まさにライトナウ有機農業の研修生。
これから果菜類をしっかりがっつり学ばなくてはなりません。
師匠!!
ふつつかものですが最後までよろしくお願いします!!
農地ナビより現地の方のナビ。
まだまだめげていないミカミ君はおハナさんとまたまた長崎県西海市へ農地を探しに行きました。
まずは農地ナビというホームページで事前に調べておいた良さそうな農地(前回紹介してもらった空き家に近く、ある程度まとまった面積の耕作放棄地)を現場確認。
(使ってみればわかるけど、農地ナビで良さそうな農地を探すのはかなり骨が折れる。)
1つ目は小学校のすぐ横。
土は粘土質の赤土。
木々が生えだし、かつ傾斜もだいぶある。
開墾に時間がかかりそうです。
2つ目。
砂地。
これは何とか畑に戻せそう。
…と思ったら奥の圃場にはソーラーパネルが!!
3つ目。
もう農地というより森です。
(この道の右側部分)
ここはそっとしておいてあげよう。
最後の4つ目。
砂地。
ここは悪くない状態。
作付けはしていなくとも、持ち主の方が草刈りなど管理をしている様子。
借りられるかは問い合わせないと分からないけれど、候補地のひとつ。
お昼ご飯を急いで食べ、地元の世話人的存在であるMさんとの待ち合わせ場所へ。
Mさんの案内で農地をいくつか見せてもらう。
Mさんの弟さんの畑。(すぐにでも耕作可能)
海の見える段々畑。(耕作放棄地)
高台にある段々畑。(耕作放棄地)
高台にあるMさんの畑。(すぐにでも耕作可能)
現在使っていないハウス6棟。
どこも紹介してもらった空き家から車で5分程度の距離。
そしてどの畑も、農地ナビで調べて午前中に現場確認した農地より良い畑。
(例えば高台にあるMさんの畑)
水はけが良く土も柔らかい。
やっぱり現地の方の情報に勝るものはありません。
お世話になります。
この日はここで解散し車で30分ほどの場所にある宿泊施設へ。
すぐそこにホームセンターがあったので、運転中に腰に当てるクッションを買いました。
図体のでかい(192cm)僕は農作業中や長距離運転中、腰に負担がかかりやすいのです。
それにいつだったか老後の話をしていておハナさんに、
「(でかすぎるから)あんたの介護はムリだわ。」
とバッサリ言われたことがあったので、早いうちから用心して腰痛予防をしなければと思っていました。
残念ながらホームセンターには歯に着せる衣は売っていませんでした。
(翌日へ続く)
先祖になる。
2011年3月11日、岩手県陸前高田に住む木こりの男性、佐藤直志さんはマグニチュード9.0の巨大地震と大津波によって自宅を壊され、消防団員だった息子さんまで失いました。
そんな惨状のさなか、直志さんはある決断を下します。
『家を建て直そう』
材木は山からとってくればいい。
田んぼを借りて田植えもしよう。
仮設住宅には入らない。
「先祖になる」は、そんな男気あふれる直志さんが数々の障壁を乗り越えて自宅再建へ挑む姿を追ったドキュメンタリー映画です。
ちょうど1年前の今日、某自治体の地域おこし協力隊員だった僕はこの映画の自主上映会・監督講演会に携わりました。
それに至るには不思議な縁があるのですがそれは割愛。
今度、2017年4月7日(金)・8日(土)に兵庫県立美術館で同映画を含む上映会があります。
監督から上記のチラシと共に、『関西方面にいる友人に薦めて頂ければ幸いです。』といった主旨のメールが先日僕にも届きました。
みょうなもので、メールが届いたまさにその日は、ちょうど京都在住の友人夫婦が僕の家に遊びに来てくれた日でした。
おまけにその2週間くらい前にプリンターを買っていたので、ここぞとばかりにチラシを印刷してその友人に渡し、薦めておきました。
(僕も行きたいけれど、さすがに福岡→神戸は遠い。)
この映画をひとりでも多くの人に観てほしいなあ、とただただ思っています。
最後に、この場を借りて2011年3月11日の東日本大震災により亡くなられた全ての方のご冥福を心よりお祈りいたします。