タンガニーカ湖を船で縦断してザンビアへ。
フェリーのチケットは何と100ドルもした。(外国人価格)
でも文字通り乗り掛かった船なので乗ることにした。
船内の部屋。
ベッドは見てのとおり狭い。
同室になったイギリス人シェフのカールはアフリカの北端チュニジアから22ヶ月かけて旅をしている筋金入りの旅人。
30代半ばに見えたけれど、少年のような好奇心を持った冒険好きの飾らない英国紳士、といった印象。
乗船の様子。
たくさんの荷物の運び入れや人の乗り込みに順番や規則性・計画性はまったくない。
来た人から乗船し、運ばれてきたものから空いている場所へ積む。
言語の違いや肌の色の違いよりも、こういった文化・習慣の違いに触れたとき異国を感じる。
出航。
しばらくすると夕日が沈んだ。
夕陽で美しく紅く染まる対岸は紛争の続くコンゴ民主共和国。
旅の途中で会ったアフリカ中を布教して回っているケニア人宣教師は、
「コンゴには絶対に行かない。危険だから。」
と語っていた。
夕食はうどん味のお餅みたいなものを素手でこねて一口大にちぎり、バーベキュー味のお肉入りソースにつけて食べた。
おいしかった。
素手でものを食べるのは初め少し抵抗があったけど、慣れれば別に気にならない。
ほどなくして棺桶大のベッドで一晩の眠りにつく。
船は定期的に停まり、下船する乗客を降ろすため岸からボートが数隻横付けされる。
乗客の数がそのまま収入に反映されるのか、良い場所をめぐりボート間でケンカになる。
腹が立つことがあれば声を荒げ怒る。
こういった面も、感情をむき出しで表に出さずに極力対立を避ける日本人とは対極に位置している。
どっちがいいかと聞かれたら、
『その中間くらいがちょうど良いと思う。』
と答えるけれど、その答え自体が極めて日本人的なものだなあとも思う。
船は湖でもけっこう揺れた。
キゴマを5月1日の18:00に出航。
ザンビアの港町ムプルングには5月3日の17:00に到着。
不可解なほど入念な入国審査が終わりザンビアへ入国。
僕の推測では、たぶん入国審査官が暇だったから根掘り葉掘り詰問されたんじゃないかと思う。
だってたま~にしか来ない船から降りてきた獲物(タンザニアとザンビア以外の国籍の乗客)は僕とカールのたった2人だけだったのだから。
机上と畑。
こんばんは、夜はもっぱら農業の勉強をしているミカミです。
夕飯を食べ、新聞を読み、エヘエへ丸の散歩が終わったら机に向かいます。
最近読了したこの本には次のように書いてありました。
『図解でよくわかる土壌微生物のきほん』横山和成 監修
植物の細胞壁には、リグニン、セミロース、ヘミセルロースなどの高分子成分が多く含まれている。
このうち、セミロース、ヘミセルロースは酵素で分解しやすいが、リグニンがそれらに結合していると、構造がより強固になり、低分子に分解されにくくなる。リグニンは木のなかに20~30%含まれているため、木はなかなか土壌微生物によって分解されない。
しかし、キノコの仲間である「白色腐朽菌」だけは、リグニンを分解できる作用がある。
白色腐朽菌によって低分子に分解されたリグニンは、ほかの土壌微生物によって分解・吸収できるようになる。また、低分子に分解されたリグニンは、土壌中での腐植の形成に貢献している。
この部分を読んだ時、数ヶ月前の実体験とバッチリつながって、
「そうか!! あれはそういう意味で言っていたのか!!」
とひとりでテンションが上がってしまいました。
『勉強会』(2017.1.26)で見学した先進農家の農場主さんは、有機農法から炭素循環農法に切り替える場合、「2~3年は廃菌床を入れた方がいい。」
とおっしゃっていました。
農場主さんの畑には実際に炭素循環農法で育てられた立派な作物が植わっていました。
ちなみに廃菌床とは、オガクズに米ぬかなどの栄養分を人工的に混ぜたものに種菌を植えつけてキノコを栽培し、キノコの収穫後に役割を終え不要になったもの。
本で読んだ
“キノコの仲間である「白色腐朽菌」だけは、リグニンを分解できる作用がある”
ことと、
現場で学んだ
“廃菌床を入れる”
ことがつながり知識が体系化された瞬間です。
変な奴だと思われるかもしれませんが、こういう時僕は興奮してしまいます。
僕は学者ではないので、現場で(畑で)成果をあげるために理論を勉強しています。
だから理論が実際の畑にどう活きているか判明した時、目から鱗が落ちる気持ちがしたのです。
これ以外にもこの本を読んで鱗が落ちた(畑につながった)知識がいくつかあるのですがマニアックすぎるので省略。
最後に1つ問題です。
生物性が豊かと評された土壌1グラムには何匹くらい微生物がいると思いますか?
さあ
さあ
どうでしょう。
いいでしょうか。
答えは、
…
1兆匹超!!
土壌1グラムの中の微生物数だけで全世界の人口をゆうに超えています。
アンビリーバボーです。
肚を決める。
(前日からの続き)
この日も朝からMさんがいろいろ案内してくれることに。
僕たちもここ(長崎県西海市西彼地区)を重点的に当たろうと決めていたので、2日目も付き合って下さるのはとてもありがたい。
まずは社会福祉法人の理事長の女性に会わせて頂いた。
施設に併設して、できたてピカピカのまるでマンスリーマンションのような寮があり、少しでもここの社会福祉法人でアルバイトをすれば格安で入居可能だそうです。
Mさんも、まずは気楽にここから始めてもいいのでは、ということで紹介してくれました。
ありがたいお話だったけれど、僕たちはあの空き家に住みたいと思っていたし、農機具置き場や出荷調整のスペースが必要という点でも、寮に入る選択肢はありません。
ただ、寮に入らなくとも送迎や洗濯、食事補助などのアルバイトはあるとのこと。
最初は週3日程度アルバイトをしながら就農しようと考えているので、この話は願ってもない吉報。
続いて来年度で閉校となってしまう小学校の校長先生のところへ。
Mさんと校長先生は閉校後の学校の有効な活用方法がないものか話し合っていました。
お手洗いを借りる際に廊下から教室の中が見え、
『机ってあんなに小さかったけな。』
とノスタルジックな気持ちになりました。
それから空き家のある集落の神社へ行ってお参り。
堂内には立派なお雛様が飾ってあり、生き生きとした地域コミュニティの息遣いが感じられました。
その後、イチゴの観光農園と加工品が食べられるカフェをしている農業法人の代表取締役の方にご挨拶。
面白いことをしている人がこんなにいるんだと驚く一方、重ねてビックリなのはMさんの顔の広さです。
人脈が半端じゃありません。
いろんな方への挨拶まわりが終わり、Mさんは息抜きにと気を使って下さったのか、
「どこか観光で行ってみたいところはありますか?」
と聞いてくれたのですが、
生真面目な僕は、
「この辺で堆肥をつくっている所があれば見てみたいです。」
というバカ真面目な答えをしてしまいました。
ということで堅物のつまらないリクエストにも快く応えてくれ、堆肥センターを見学。
牛糞とバークを半年間かけ堆肥化させていました。
エアレーション(常時空気を送る装置)もあり、しっかり発酵させた完熟牛糞堆肥が手に入りそうです。
これは嬉しい。
最後に西海橋のたもとにある物産館の所長さんにご挨拶。
西海橋。
(おハナさんは高いところが苦手なのでへっぴり腰でした。)
不気味にそびえたつ3本の塔は針尾無線塔。
太平洋戦争の引き金となった真珠湾攻撃の暗号文「ニイタカヤマノボレ1208」がここで中継されたと伝えられています。
物産館に併設されたレストランで一緒にお昼ご飯を食べてMさんとはお別れ。
本当に本当にありがとうございました。
お世話になりっぱなしでもう足を向けて寝れません。
帰宅後何日かじっくり考え、おハナさんとも話し、師匠にも相談し、肚を決めました。
良い空き家と良い農地が借りられる、そして良い人たちとも巡り合えた長崎県西海市の西彼地区で新規就農しようと思います。
今後、空き家の家主さんと細かい点で話を詰め、Mさんと借りる農地について話を詰め、9月前後の引っ越しに向け準備していきます。
あれもこれもしなくては、と気がはやりますが、こういう時に大事なのは原点回帰。
そう、僕は今まさにライトナウ有機農業の研修生。
これから果菜類をしっかりがっつり学ばなくてはなりません。
師匠!!
ふつつかものですが最後までよろしくお願いします!!