ようやく立ち上がったと思ったらしばらくは惑い続ける!?
こんばんは、三十路・壮年・而立のミカミです。
最近の研修は、
・発芽したにんじんの草引き、間引き
・さといもの土寄せ
・ゴボウ掘り
・さつまいも掘り
・玉ねぎの種まき
などをしています。
にんじんの発芽率は悪くなかったので一安心。
草丈が低いうちは雑草に負けてしまうのでこまめに除草。
ゴボウは収穫が大変。
省力化を模索せねば。
さつまいもは品種によって収量が全然違う。
安納芋は収量が低いが、べにはるかや黄金千貫は高収量。
さつまいもは長期保存し、冬に焼き芋販売もするみたいです。
売り子は研修生である僕が担当!?
売るのも食べるのも楽しみです。
しかし月日が流れるのは早いものです。
光陰矢の如し。
スポーツ刈りだった少年は今やいがぐり頭の壮年となりました。
『三十にして立つ。』
孔子さんは言います。
「私は、三十の時に、学問などの基礎がきちっとして独り立ちができるようになりました。」
なるほど
僕の三十になった所感を述べますと、
「私は、己の未熟さを自覚できるようになるまでに30年かかりました。」
そして次は…
『四十にして惑わず』
待ってください。
ということはこれから10年惑い続けるということでしょうか。
これをふまえ四十まであと十年の所感を述べますと、
「やっとこさ立ち上がったところなので正直一休みさせてほしいですけど状況が状況なのでまあ惑いながらも進んで行くしかないですね。ええ。」
といったところです。
ちなみに孔子さんはこんなことも言っているようです。
『止まりさえしなければ、どんなにゆっくりでも進めばよい。』
わかりました。
ときどき転ぶかもしれませんが起き上がって進みます。