わかりにくい理由。
こんばんは、根が生真面目なので時々は肩の力を抜いて息抜きをしなくては、と思っているけれどそう思っていること自体真面目から抜け出せていないよな~ミカミです。
本旨とは関係ありませんが、これは余った菜花を活けてみました。
今日は前回から続く真面目な話。
ある日、お世話になっている直売コーナー担当の方から、野菜の袋に貼付けてあるシールの、
「栽培期間中、農薬・化学肥料 不使用」
の文言をやめてほしい、との連絡がメールで入りました。
(その直売コーナー担当の方は、とある農業法人に所属)
(その農業法人が某大型スーパー内に直売コーナーの場所を借りている)
(僕はその直売コーナーに野菜を出荷している)
電話で詳細を聞けば、何でも某大型スーパーのバイヤーさんの意向とのこと。
理由は、お客様から
「有機野菜だと思って買ったのに違うのか。紛らわしい。」
というクレームを来なくするため。(現時点でクレームはきていない。)
表示に関しては前回のブログを参照ください。
これを読んでもらえればわかる通り、僕はきちんと法律にのっとった形で農薬も化学肥料も使用していないことを表示しています。
ただ、確かにわかりにくくはあるので、
・僕の方からそのバイヤーさんに説明。
・表示についてお客様への説明文を直売コーナーに掲示する。
といった対応を提案しましたが、どうやらそういうことではないそうです。
某大型スーパーのバイヤーさんからの、
「お客様からクレームが来る可能性のあるものは事情がどうあれ無くす。」
という有無を言わせない頭ごなしの指示(決定済)なのだそうです。
話を聞けば、その直売コーナー担当の方はこれまでにも某大型スーパーのバイヤーさんの一方的な指示と生産者の間で板挟みにされながら何とか折り合いをつけやってきたとのこと。
しかし僕たちも「はい、そうですか。」と簡単に引き下がるわけにはいきません。
あのシールは、作成に少なくない時間と労力がかかっています。
ロゴマーク、文言、フォント、色合い、行間、印刷業者、などなど何度も何度も試行錯誤し作り上げました。
それは研修から就農までの苦労をも象徴しています。
しっかりと調べ、ルールを守って表示しているのに、
話し合いもなく頭ごなしに「この表示はやめてください。」
とは生産者をないがしろにしています。
そのような背景もあり電話ではやや熱くなって話してしまいましたが、直売コーナー担当の方は間に入っているだけなので悪くないですし、いくら話しても解決するわけはなく、結局
「しばらく考えさせてください。」
と言って電話を切りました。
その日から翌日にかけて悩みました。
「直接そのバイヤーさんに直談判に行こうか。」
「でも間に入っている直売コーナー担当の方に迷惑がかかるかもしれない。」
「その某大型スーパーには出荷を停止しようか。」
「それだと安易すぎやしないか。衝突したらすぐやめる、ではなく、何とかうまくかわして売りぬくしたたかな姿勢が必要ではないのか。お世話になっている直売コーナー担当の方だって間に挟まれながら頑張っている。」
「しかし有機農業には生産者が軽んじられている構造への問題提起という役割もある。長いものに巻かれろ、ではいけない。」
このような自問自答の中、翌日の夕方1本の電話が。
出てみると直売コーナー担当の方が所属する農業法人から。
「~さん(直売コーナーの担当の方)が倒れました。」
「ええ!!」
(久々に大きな声を出して驚きました。)
過労と不摂生がたたり、僕と電話で話した数時間後に倒れ、現在入院中とのこと。
翌日お見舞いに行き、電話で熱くなってしまったことを詫び、忙しく働きすぎたのでしょうから、ゆっくり休んでお大事にされてください、といった話をしました。
そしてその方一人で全てをまわしていた(その労働形態にも大いに問題があると思う)某大型スーパーの直売コーナーは出荷停止となりました。
今後、別の担当者が現われ出荷が再開できる状況になったとしても、僕は葉っぱ1枚とて出荷する気はありません。
今回の件に限らず、社会にはわかりにくい構図がいくつでもあります。
では何故わかりにくくなっているのか。
わかりにくい事は切り捨てればいいのか。
その分断が社会にどのような影響をもたらすのか。
面倒でも切り捨てずに、そのわかりにくい理由ひとつひとつと向き合い続ける社会的かつ道義的責任がそれぞれにある、
と、一生産者として、一消費者として、一庶民として考えております。
(それは『つむぎ園』という農園名に込められた理念でもあります。)
追伸:上記のような理由により、『つむぎ園』の野菜は現在
・マックスバリュ琴海店
・マックスバリュ時津店
のみへ出荷しております。