知識は伝えることができるが、知恵は伝えることができない。
ヘルマン・ヘッセ著『シッダールタ』の一節です。
こんばんは、文学青年ぶってしまったミカミです。
先日師匠にナスの剪定方法を教わりました。
(写真はなぜかピーマン。よく見ると左サイドにナス。)
「夏から秋まで切らさずにナスを収穫できなければプロの農家とは言えない。」
「そのために収穫の都度、同時に剪定も行う。」
とのことで、師匠流の剪定の基本的なルールとその意味を学びました。
ただし、師匠も言っていたとおり教わった剪定方法はあくまで大まかな原則であり、あとは臨機応変に対応できねばなりません。
杓子定規に“主枝は葉っぱX枚で、副枝は葉っぱY枚で剪定する。”とまで決めてしまうと、その時、そのナスの木に合った剪定からはズレてしまう危険性があります。
ナスにだってナスそれぞれの都合があります。
枝ぶりだって1本1本少しずつ違います。
品種も多々あります。
気温、湿度、日照条件、水はけ、土壌の物理性・生物性・化学性なども畑や作付けする年によって千差万別でしょう。
師匠は(おそらく)”考える”というよりは”感じる”というレベルでどの枝をどこで剪定するか瞬時に判断しています。
(師匠流の剪定ルールを”ベース”として)
師匠の豊富な経験に基づく知恵を学ぶことは不可能です。
僕にも理解できる法則を知識として学んでおき、あとはその法則をもとに取り組み、自分で知恵を会得していくしかありません。
まあ“千里の道も一歩から”です。
コツコツと。
てくてくと。