深夜に到着したルワンダ。
ジンジャから首都カンパラへ戻り、乗り継ぎをしてウガンダ南部の町ムバララに向かいそこで一泊。
ムバララはさほど大きな町ではないので町中から少し歩くとこんな感じ。
バスは10:30発と聞いていたが実際に来たのは12:30。(2時間遅れはかわいい方)
ルワンダのビザはジンジャに行く前にウガンダの首都カンパラにあるルワンダ大使館で取得しておいた。
バスには運転手のほかに同乗員の若い男がいて僕のリュックをトランクへ入れるからよこせと言ってくる。
このリュックを失えば旅を続けられないのできっぱり断ってシートに座り自分の膝の間にねじ込む。
バスのシートはこれでもかというくらい硬い。
クッションなんて気の利いた代物はない。
数時間ガタゴト走りそろそろ国境かなと思っていたら突然バスが止まった。
何ごとかと思い降りてみると、大型車が横転し道をふさいでいる。
横転した大型車をワイヤーで引っ張って起こそうとしているがビクともしない。
道の両側には沼があり通ることは不可能。
野次馬がいっぱい。
東洋人が珍しいのか子供たちに取り囲まれる。
写真中央の女の子は、「おいおい、大丈夫かよ。いつになったら通れるんだ、これ。」という表情で腕組みをしている僕の真似をしている。
なかなか似ている。
そのまま2時間…3時間たち、あたりが夕闇に包まれてきた。
さすがに車内の女性たちがいら立ち始める。
「ねえちょっと、違う道で行けばいいじゃない。」(女性たち)
「俺らはちゃんとしたビザを持ってないからこの道からしか行けない。」(バス添乗員)
(この道の先の国境はチェックが緩いのか、バス添乗員の知り合いがいるのか、何にせよ正規の手続きをふんだバスじゃないようだ。)
「じゃあこのまま通れなくて夜になったらどうするのよ。」(女性たち)
「バスの中で夜を明かせばいいさ」(バス添乗員)
「あんた正気!? (Are you crazy!?)」(女性たち)
肩をすくめもう応対する気がないバス添乗員。
ざわざわ相談し始める女性たち。
「このあたりは夜になったら安全じゃないわ。」
「バイクタクシーを呼んで近くの村まで送ってもらうのはどう?」
その話、ぜひ僕も便乗させてほしい。
話に入るタイミングをうかがっていると、支点力点作用点がうまいこといったのか今までうんともすんとも言わなかった大型車が、
ズズズズ、ガシャン!!
と大きな音を立てて起き上がった。
それを見た車内の女性たちはいっせいに
「ハレルヤ!!」 「ハレルヤ!!」
「ハレルヤ!!」
「ハレルヤ!!」
ええ!?これ神様のおかげなの?
と現地のノリについていけない僕。
トータルで4時間くらいは立往生していた。
しばらく走り国境の出入国手続きも問題なく通過。
ルワンダはビニール袋持ち込み禁止というルールがあるようだが荷物の中身はノーチェックだった。
その後も数時間ひたすらバスは走る。
いいかげん腰と背中が痛くなってくる。それに眠い。
結局終点のキガリのバスターミナルに着いたのは深夜24時。
到着してすぐに乗客たちは足早にそれぞれ暗闇の中へ立ち去っていく。
バスターミナルは郊外にあるようで近くには宿も無い様子。
ぽつん、とひとり取り残され行くあてもなく心細い僕。
深夜のルワンダ。
横を通り過ぎたバンの窓から身を乗り出し
「ヘイ、ムズング!! ギヴミーマニー!!」
と叫んでくる現地人。
怖い。
ちなみに”ムズング”とはスワヒリ語で”白人”の意。
僕は黄色人種だが向こうからしたら”黒”じゃなければ”白”なのだろう。
とにかくさらに心細くなった僕はバスターミナル内で唯一明かりのついている小さな建物へ。
そこには迷彩服に身を包み、銃(大きいやつ)を持った兵士が数人警備にあたっていた。
この人たちがいたからさっきの現地人も叫んだだけで走り去ったのだろう。
ひとりの兵士が「どうした?」と話しかけてくる。
宿を探していると話すと、俺は知らないけどバイクタクシーで連れて行ってもらえばいい。と少し離れたところにいた運転手の男に声をかけてくれる優しい兵士。
運転手は悪そうな男ではなかったので「近くの安い宿に連れて行ってくれ」と話し乗せてもらう。(バイクにノーヘル2人乗り)
最初に連れて行ってくれた宿は1泊70ドルと超高い。
もっと安い宿に、と言って着いた次の宿は1泊35ドル。
これでもだいぶ予算オーバーだが、時間も時間だしぐったり疲れていたので仕方なくここで手を打つ。
背に腹は代えられない。
というか命には代えられない。
シャワーを浴びてベッドに入り死体のように眠った。