農地ナビより現地の方のナビ。
まだまだめげていないミカミ君はおハナさんとまたまた長崎県西海市へ農地を探しに行きました。
まずは農地ナビというホームページで事前に調べておいた良さそうな農地(前回紹介してもらった空き家に近く、ある程度まとまった面積の耕作放棄地)を現場確認。
(使ってみればわかるけど、農地ナビで良さそうな農地を探すのはかなり骨が折れる。)
1つ目は小学校のすぐ横。
土は粘土質の赤土。
木々が生えだし、かつ傾斜もだいぶある。
開墾に時間がかかりそうです。
2つ目。
砂地。
これは何とか畑に戻せそう。
…と思ったら奥の圃場にはソーラーパネルが!!
3つ目。
もう農地というより森です。
(この道の右側部分)
ここはそっとしておいてあげよう。
最後の4つ目。
砂地。
ここは悪くない状態。
作付けはしていなくとも、持ち主の方が草刈りなど管理をしている様子。
借りられるかは問い合わせないと分からないけれど、候補地のひとつ。
お昼ご飯を急いで食べ、地元の世話人的存在であるMさんとの待ち合わせ場所へ。
Mさんの案内で農地をいくつか見せてもらう。
Mさんの弟さんの畑。(すぐにでも耕作可能)
海の見える段々畑。(耕作放棄地)
高台にある段々畑。(耕作放棄地)
高台にあるMさんの畑。(すぐにでも耕作可能)
現在使っていないハウス6棟。
どこも紹介してもらった空き家から車で5分程度の距離。
そしてどの畑も、農地ナビで調べて午前中に現場確認した農地より良い畑。
(例えば高台にあるMさんの畑)
水はけが良く土も柔らかい。
やっぱり現地の方の情報に勝るものはありません。
お世話になります。
この日はここで解散し車で30分ほどの場所にある宿泊施設へ。
すぐそこにホームセンターがあったので、運転中に腰に当てるクッションを買いました。
図体のでかい(192cm)僕は農作業中や長距離運転中、腰に負担がかかりやすいのです。
それにいつだったか老後の話をしていておハナさんに、
「(でかすぎるから)あんたの介護はムリだわ。」
とバッサリ言われたことがあったので、早いうちから用心して腰痛予防をしなければと思っていました。
残念ながらホームセンターには歯に着せる衣は売っていませんでした。
(翌日へ続く)
先祖になる。
2011年3月11日、岩手県陸前高田に住む木こりの男性、佐藤直志さんはマグニチュード9.0の巨大地震と大津波によって自宅を壊され、消防団員だった息子さんまで失いました。
そんな惨状のさなか、直志さんはある決断を下します。
『家を建て直そう』
材木は山からとってくればいい。
田んぼを借りて田植えもしよう。
仮設住宅には入らない。
「先祖になる」は、そんな男気あふれる直志さんが数々の障壁を乗り越えて自宅再建へ挑む姿を追ったドキュメンタリー映画です。
ちょうど1年前の今日、某自治体の地域おこし協力隊員だった僕はこの映画の自主上映会・監督講演会に携わりました。
それに至るには不思議な縁があるのですがそれは割愛。
今度、2017年4月7日(金)・8日(土)に兵庫県立美術館で同映画を含む上映会があります。
監督から上記のチラシと共に、『関西方面にいる友人に薦めて頂ければ幸いです。』といった主旨のメールが先日僕にも届きました。
みょうなもので、メールが届いたまさにその日は、ちょうど京都在住の友人夫婦が僕の家に遊びに来てくれた日でした。
おまけにその2週間くらい前にプリンターを買っていたので、ここぞとばかりにチラシを印刷してその友人に渡し、薦めておきました。
(僕も行きたいけれど、さすがに福岡→神戸は遠い。)
この映画をひとりでも多くの人に観てほしいなあ、とただただ思っています。
最後に、この場を借りて2011年3月11日の東日本大震災により亡くなられた全ての方のご冥福を心よりお祈りいたします。
苗づくり始まる。
こんばんは、先日ジャンパーを洗うことを覚えたミカミです。
冬の間、牧場での仕事中着られていたジャンパーはあらゆる汚れを身にまとい、道に落ちていても誰も拾わないようなひどい見た目でした。
僕は”ジャンパーを洗う”という概念を持っていなかったのです。
『それいいかげん洗えば?』
というおハナさんの鶴の一声によりコペルニクス的転回が訪れ、”ジャンパーって洗っていいんだ”、と気が付いた僕はそのジャンパーを手洗いしました。
思い込みって怖いですね。
さて、研修ではじゃがいもの植え付け、マルチ張り。
マルチの主な効果は以下の3つ
- 防草
- 地温上昇
- 肥料分の流亡低減
3つ目は師匠に教わるまで知りませんでした。
エンドウが大きくなって来たので支柱を立てネット張りもしました。
そしてしばらく前から畑にはヒヨドリ軍団が襲来。
ゆうに20羽はいます。
無慈悲に野菜をバリバリ食べる彼らから生育中の春キャベツを守るため師匠と寒冷紗をかけました。
これがもし無かったら…
こうなります。
無残な姿にされたブロッコリー。(収穫は済)
そしてついに始まりました、春夏野菜の苗づくり。
電熱線育苗が普及している昨今、師匠は踏み込み温床という昔ながらの方法で苗を育てています。
踏み込み温床とは、モミ殻や米ぬか、ワラや落ち葉など身の回りで手に入る資材を混合し踏み込んで、その発酵熱を苗づくりに利用する方法。
温床は使用後、床土や堆肥の材料として再利用します。
師匠はモミ殻:米ぬか:おからを5:1:1くらいで混合。
水をこれでもかと言うくらいたっぷりかける。
これは、メイン資材のモミ殻が乾燥しており、かつ水分を吸収しにくいため。
翌日には60℃ほどに発熱。
数日して40℃くらいに落ち着いたらトンネルの支柱をたてビニールを張って温床の準備OK。
ナスとピーマンの種が第一陣として蒔かれました。
立派な苗に育て、定植する5月までの2ヶ月、温度と水分の管理にいつも気を留めていなければなりません。
温床の温度を2ヶ月間保つため、温度が下がってきたら再度発酵を促す作業(水分補給・切り返し・資材の追加)を随時行います。
ただ、僕が就農してすぐ師匠と同様に苗づくりをするのは現実的ではありません。
(設備面と技術面において)
しばらくは出来合いの苗を4月中~下旬ごろに購入し、大きめのポットに移して仕立て直し、5月に入ってから定植、というのが現実的な線です。
焦らず、できることからコツコツと。
師匠は何度か、
「農業は三代続いてやっと形になってくる。」(師匠は三代目)
「一代目、二代目が、後世になってやっと役に立つことをコツコツと積み重ね、踏み台のような役割をしてくれたおかげで今の自分の農業がある。」
と言っていました。
僕は研修後に新規就農するので一代目にあたります。
踏み台です。
そして結婚前から早くも婚約者の尻の下にしっかり敷かれています。
別に狙っているわけでも、そういう嗜好があるわけでもありませんが、どうやらそういう役回りのようです。