丑年うっしっし。
こんばんは、昭和60年生まれ丑年ミカミです。
何の因果か週3日牧場で牛まみれになりながらアルバイトをしています。
仕事終わりには冷えた瓶の牛乳を一杯グイッと。
最高です。
暖かくなってきて雑草も伸びだしたので、時間を見て牧場内の草刈り、草むしりもしています。
そしてその時僕ははたと思いつきました。
『むっ、確か師匠は刈った草をひとまとめにして積んでおき、発酵・分解して腐植たっぷりぶりぶりになった土を苗づくりの床土の材料のひとつにしていたな。』
『僕もできないかな。』
ということで牧場長に許可をもらい、邪魔にならないところに雑草を積み、休憩時間に発酵促進のため米ぬか(コイン精米機で入手)を少々混ぜ、水分調節をして仕込みました。
2週間に一度くらい切り返しと水分調節をすれば、これから気温が高くなってくるのでどんどんと分解されて、夏には黒々ふかふかぶりぶりの土になっているでしょう。
ぬっふっふっふ。
でつくった牛糞堆肥も順調に発酵し熟してきています。
この2つを混ぜてさらにモミ殻燻炭を少し加えれば立派な床土のできあがり。
うまくいけば冬野菜の苗づくりができるかもしれません。
3月はまだまだ気温が低いので育苗にはハウスが必要ですが、9月は気温が高く冬野菜の育苗にハウスはいりません。(虫よけネットは必須)
ブッロッコリー、キャベツ、菜花あたりの苗をつくりたいですぞ。
うっしっし。
そんな野望に燃える僕が恐れていること。
『引っ越し前にま~た荷物増やしてどうすんのよ、あんた!!』
とおハナさんにどやされないかな。
良い床土は買うと高いから経費削減になるんだけどな。
ありがたい。
こんばんは、破竹の勢いで新品靴下を穴あき靴下に変身させているミカミです。
3か月もちません。
長靴で作業しているせいでしょうか。
そんなこともあり、このごろ地下足袋が欲しくなってきました。
近隣のホームセンターなどの店頭ではサイズが28cmまでしかない。(僕の足は29cm)
機を見てインターネットで買うしかないですな。
さてさて、徐々に春らしい陽気となってきた畑では
極早生のタマネギ。
春キャベツ。
菜花。
かつお菜。
(福岡ではお雑煮にかつお菜を入れるのが一般的のようです。)
などが収穫適期を迎えています。
野菜の少ない端境期に貴重な収穫です。
そして3月上旬~中旬ごろに蒔いた種が芽を出し始めました。
にんじん。
ゴボウ。
カボチャの苗。
トマトの苗。
定植されたレタスの苗。
サトイモも種イモを植えつけました。
サツマイモの種イモの伏せこみも始まり、早くも何ヵ所かは芽が出ています。
少量多品目栽培ではいろんなことを同時進行でこなさなければならないので、脳内の整理整頓と作業の優先順位決めが作物の出来を大きく左右します。
僕が実際に就農し、自分の畑で師匠の真似をしようとして初めて、師匠が日々さりげなくしていることの凄さをしみじみと思い知ることになるでしょう。
40年以上くる日もくる日も畑で土と作物と向かい合ってきた師匠。
僕の家の台所はそんな師匠から頂いた季節の野菜たちで華やいでいます。
なんとありがたい。
そして忙しい中おハナさんがおいしく料理してくれます。
なんとありがたい。
必然とこの言葉が重みを帯びます。
「いただきます。」
「ごちそうさまでした。」
ザンビアの港町ムプルング。
ザンビアに入国後、旅の無事を祈りあって船内で同室だったカールとはお別れ。
なんとなく雰囲気でお互い気ままなひとり旅タイプの旅人であることがわかっていた。
僕はいつものように行き当たりばったりで見つけたゲストハウスにチェックイン。
その夜。
暗い。
僕は仕方ない場合(夜到着してしまったとき等)を除いて、危険を避けるために夜は出歩かないようにしている。
この時はゲストハウスの付近だけ、と少しだけ外に出た。
そうしたらあんなに暗いのに、
「ヘイ!!そこのムズング(白人)!!」
と遠くから大声で呼ばれた。
ので焦ってブレた写真。
夜の暗さと僕の動揺がにじみ出ている。
もちろん絡まれる前にすぐゲストハウスへすたこらさっさと逃げ帰った。
翌朝、裏庭のようなスペースで衣類を洗濯していたらゲストハウスの掃除夫のおっちゃんと仲良くなった。
僕が適当にざぶざぶごしごししていると、
「そんなんじゃ甘いぜ。貸してみな。」(←たぶんこんな様なことを言ったのだと思う)
と僕の衣類を横取りし猛烈な勢いで洗い出した。
手慣れた手つきでワイルドに洗濯し、干し終え満足気なおっちゃん。
ただ、僕の価値観から見るとすすぎと脱水が全然足りてない。
せっけんで泡立った水がポタポタしたたっている。
せっかくの好意をフイにしては悪いのでその場は
「ありがとう。さすがだ。」
と言っておき、後でザッとすすいでしぼって干しなおした。
洗濯の手法はともあれ気の良いおっちゃんだった。
でもこの辺の洗濯はあれがスタンダードなのだろうか。
バカでかい湖のほとりにある町だから水不足って訳でもないだろうに。
それから町を散策に。
気が向いた方向へ歩いて行くと、地元の漁師さんたちが出入りする港に行きついた。
近くの小さなお店でジュースを買い、砂浜に座ってしばらくそのあたりを眺めていた。
僕が珍しいのか十数人の子供たちが遠巻きに取り囲んでこっちを見ている。
夕闇も迫ってきたことだしそろそろ帰るかな、と立ち上がり子供たちに現地の言葉で「さようなら」(サラニ・ブウィノ)と言って歩き出した。
見慣れない東洋人の口から出た現地の言葉に子供たちは驚くとともに嬉しそうにクスクス笑っていた。
僕は可能な限り旅をする国の言語で
「こんにちは」
「ありがとう」
「さようなら」
を何と言うか事前に調べておく。
ささやかでもその国に住む人へ敬意を表したいと思って。
(ザンビアの現地語はゲストハウスの猛烈洗濯おっちゃんに教わっておいた)
それがさも当然であるかのような顔をして、英語で現地の人に話しかけることはしたくなかった。
僕が歩いて立ち去る後を2人の可愛らしい小さな姉妹が少し距離をとってついてきた。
純粋な好奇心からだろう。
2人とも澄んだ眼をしていた。
僕が立ち止まって振り返ると小さな姉妹も微妙な距離を保って立ち止まる。
「サラニ・ブウィノ(さようなら)」(僕)
「サラニ・ブウィノ(さようなら)」(小さな姉妹) (嬉しそう)
僕が歩き出すとまだついてくる。
振り返ると向こうも立ち止まる。
「サラニ・ブウィノ(さようなら)」(僕)
「サラニ・ブウィノ(さようなら)」(小さな姉妹) (やっぱり嬉しそう)
歩き出すとやっぱりまだついてくる。
「さようなら」と言い合ったのに、その意味をまったく意に介さず嬉しそうに後をついてくる2人の小さな姉妹の姿は微笑ましく可笑しかった。
「さようなら」と言い合ったけれど「さようなら」ではなかった。
しばらく歩いては立ち止まり、何度かこのやりとりを繰り返した。
集落の切れ目を過ぎると、とうとう小さな姉妹はついてこなくなった。(ここから先へは出ちゃいけないと親から言われているのだろう)
僕だけが歩き続けて2人との距離が離れると姉妹の姿はより一層小さく見えた。
でも2人はまだこっちを見ていた。
僕は最後にでっかい声で
「サラニ・ブウィノ!!(さようなら)」
と言って大きく手を振った。
距離があったので、小さな姉妹が最後も嬉しそうな顔をしていたかどうかは、わからなかった。