ムランビ虐殺記念館。
ブタレからギコンゴロへ移動。
ギコンゴロは見てのとおり小ぢんまりした町。
宿を確保し、町の食堂で昼食。
写真左上の緑色の料理は抹茶と雑草をミキサーにかけたような味がした。
さすがに半分残した。
右側のメインのお皿はどれもおいしかった。
町から30分ほど歩いてムランビ虐殺記念館に到着。
職員の男性が最初に案内してくれた建物には当時の資料や記録が展示されていた。
彼はふくよかな中年の男性が写った写真の前で立ち止まり、
「あの人物は当時このあたりの虐殺を指揮した司祭で、今はフランスに亡命し自由に暮らしている。」
と言った。
僕が驚いて、
「捕まって裁判にかけられないのか。」
と聞くと、彼は何も言わず悲しそうに首を振っただけだった。
続いて小部屋がいくつも並んだ長屋のような建物を案内してくれた。
そこには当時虐殺された者たちの死体が何の覆いもなくそのまま置かれていた。
白骨化した死体
ミイラ化した死体
大人の死体
子供の死体
一部屋に30体くらいの死体が無造作に置かれ、その中を無数のハエが飛び交っている。
腕や足が妙な方向にねじれた死体
頭蓋骨を斧のような凶器で割られた死体
苦悶の表情が張り付いたままの死体
どの部屋にも死体、死体、死体。
訪れた人すべてを絶句させる強烈な光景。
そして凄まじいにおい。
乾燥させてすりつぶしたレバーの粉を口と鼻いっぱいに詰め込まれたようなザラザラとした死のにおい。
比喩ではなく胸がぎゅーっと締め付けられ、全身に力を入れて踏ん張らないとその場に立っていられない。
頭の中は真っ白になり、何も考えられない。
眼前の死体ひとつひとつを必死に見る。
それしかできない。
もし画像が見たいという方は、yahooの画像検索で”ムランビ虐殺記念館”と調べれば見ることが出来ます。
ただしショッキングな画像なので、心して見て下さい。
案内の最後に見晴らしのいい屋外へ出て職員の男性はこう言った。
「私はツチ族で虐殺の始まった当時19才だった。どこかへ逃げたかったけれど、この周りの丘全てインテラハムェ(民兵虐殺集団)に封鎖されていた。どこへも逃げられなかった。」
それに返す言葉はどこにも見当たらなかった。
案内してくれたお礼を言い、訪問者ノートに記帳、施設の維持管理のための寄付を少しして記念館を後にした。