新規就農、セイタカアワダチソウの洗礼。
こんにちは、思い立ったが吉日ミカミです。
施工業者さんの都合で、引越し先の長崎の家の改修工事は8月下旬にならないとできないことが7月中旬に判明。
僕は冬作の作付けをする気満々だったので、9月には畑を種まきできる状態にしておきたいところ。
う~む…
そこで思いつきました。
改修工事前に長崎の家に泊めてもらい、荷物の運び込みや畑の準備をしてしまおう。
そして工事の間だけ福岡に戻ってきて、終わったら正式に転居しよう。
ということでさっそく家主さんの許可を得て8月5日から泊まり込みで長崎へ。
積めるだけ荷物を積んで出発。
夜逃げではありません。
下道で5時間。
途中セミが車内に飛び込んできて大暴れしていったことを除けば順調に進みました。
到着し間髪入れずに荷物を運び入れ。
いやはや真夏の移動はなかなか大変です。
翌日は家主さんと事務的な打ち合わせやガスの開栓の立ち合い、ご近所さんへの挨拶、午後は農具と食料品の買い出しでバタバタと経過。
その次の日、家の片づけをおハナさんに任せ僕は畑へ。
ご覧の通りセイタカアワダチソウがぼうぼうです。
こんな状態のところへ刈り払い機を持って突入します。
一列刈り終わったところ。
根元を刈り払っていくと、新規就農を洗礼するかのように2mを超すセイタカアワダチソウが僕の顔面にふぁさぁ~っと倒れ掛かってきます。
それが癪なので午後はイスを持って行ってゴージャスに休憩してやりました。
朝6時から始めた草刈りは休憩や食事、午睡をはさみ夕方6時にやっと終了。
これが刈り終わったところ。
しかし家に帰りシャワーを浴びて一息ついたと思ったらセイタカアワダチソウの復讐が。
「でびしっ!!」
一日中花粉をたらふく浴び続けたので、くしゃみが出るわ出るわ。
「だゃぁぶしょぃっ!!」
このようにして新規就農が始まっております。
1年間の研修が修了。
こんばんは、知恩・知足・適当をモットーにしているミカミです。
7月いっぱいで、1年間に渡った農業研修がついにフィナーレを迎えました。
どこの馬の骨かもわからない僕を研修生として受け入れてくれた師匠とそのご家族に、この場を借りて改めて深くお礼を申し上げます。
ありがとうございました。
懐の深い師匠は、自分の農業技術・考え方・生き方を惜しげもなく見せてくれ、それを参考に僕が自分の方向性を確かにし、信念を構築する後押しをしてくれました。
その寛大さには頭が下がるばかりです。
“一寸先は闇”の中を手探りで進んできた有機農業の先駆者である師匠。
先代から受け継いだ土地を40年以上守り、耕し、種を蒔き、有機農産物を生産し地域の食を支え続けてきたばかりか、消費者に生産現場の事を体験してもらう場を設け続けたり、数多くの研修生を受け入れたりと、有機農業自体の種も蒔いた偉人です。
師匠は折に触れて、
『何とかなるごとなっとうと。』(何とかなるようになっている。)
と言います。
四季を通して畑で一緒に作業をし、黙々と土に向かう師匠の姿を見てきた僕に、その言葉は不思議な説得力を帯びて聞こえます。
おかげで僕も、
“何とかなる。”
と
“何とかする。”
を合体させた、肚を据え、闇の中でも手探りで前向きに進んでいこう、という気持ちになることができました。
ここで受けた恩を忘れず、広義の恩返しができるように頑張っていきます。
最後に師匠の名言を3つご紹介。
『性根の優しい子は大丈夫なんだ。』
(若い頃とがった物言いをしていた元研修生の女性が、旦那さんとお子さん2人と一緒に温和なお母さんとなって訪ねてきた後の言葉)
『みなさんは九州大学に合格したのだから頭がいいのでしょう。でも答えの用意されている問題を解いたところでたいしたことはない。まだ答えの出ていない問題にぜひ人生をかけて取り組んでください。』
(師匠の畑を見学に来た九州大学の学生達に向けた言葉)
『氷入りのビールはもうこおりごおりだ。』
(カンボジアで農業支援をしていた際、不衛生な水で作られた氷をビールに入れられ、おなかを壊したエピソードを話した後に放ったギャグ)
砂漠。
ワルヴィス・ベイからスワコップムントに移動。
乗り合いタクシーで小1時間程度。
幸運にも手頃なユースホステルの部屋がすぐ見つかった。
ガンジーってこんなに顔怖かったっけ?
町から1時間半くらい歩くと砂漠に行ける。
砂漠。
砂漠に映る僕の影。
砂漠にある僕の靴。
何かの骨。
ここを選ぶとはよっぽどの物好きだね。
むっ?
見っけ!!
砂丘をはだしで歩く。
なかなかできない体験だ。
スワコップムントの街中はこんなにキレイでモダンな建物が並んでいる。
でも1時間くらい歩き続けると突如今までのキレイな街並みは終わりを告げ、スラムに出た。
道を1本挟んだ反対側には富裕層の家々。
明らかに生活水準が違う。
僕は道端に座ってその鮮明なコントラスト、可視化された格差をしばらくの間ただ眺めていた。