ナミビアのワルヴィス・ベイにはフラミンゴがわんさか。
ボツワナのマウンからカンツィへ移動。
カンツィはこじんまりした町。
小ぶりな図書館があった。
蔵書数は多くなかったけれど、館内には思い思いに本を手に取る人達がいて、元図書館員の僕としては心温まる光景だった。
図書館を出るとちょうど夕陽が落ちるころ。
カンツィではようやく見つけたゲストハウスが満室。
でも僕が「わたー、どうしよう。」と困っていると、
フロントのおばちゃんが「仕方ないね。これでいいなら建ててあげるよ。」
と庭にテントを張ってくれて、そこに格安で泊めてくれた。
ありがとう。
これはテントの中。
翌日ナミビアへ向けて出発。
カンツィのバスステーションは大手スーパーマーケットの裏にある。
バスを待つ間スーパーの方を見ていると、路上生活をしていると思われる風体の子供たち数人がスーパーの裏口にあるゴミ箱を漁りにきた。
そこに休憩中とおぼしきスーパーの店員さんが出てきて、期限切れ商品なのかいくつか食べ物をあげていた。
今回が初めてではなく、お互い顔見知りのような雰囲気があった。
カンツィを出発したバスはチャーリーズ・ヒルという国境から8km離れたところにある町までしか行かない。
ここからナミビアへは公共交通機関が無く、手段はヒッチハイクのみ。
しかし需要のあるところに供給もある。
しばらくすると乗用車が停まり、ナミビアへ行く現地の人や旅行者たちを有料で乗せて行く。
僕もその一台に便乗。
ナミビアに入国。
ゴバビスという割と大きめの街で下車。
このゴバビスから首都ウィントフックに線路が伸びていることは、カンツィの図書館にあった本で調査済み。
ふっふっふ。
僕の好きな鉄道移動ができるぞ。
駅がどっちか分からないので、その辺にいた警察官に聞いたら、
『連れて行ってやる』
と言われ、まさかの囚人輸送車で駅へ。
運転席の後ろにある囚人収容スペースに入れられ外から鍵を閉められる。
幸い同席する人は誰もいなかった。
駅に到着。
でも駅構内のどこを探せど乗客も駅員も人っ子一人いない。
仕方ないので駅前の銀行のATMを見張っていた警備員のおっちゃんに尋ねてみると、
『今は貨物列車しか運行してないぞ。』
の一言。
なるほど。
ということでまたしてもヒッチハイクで移動。
首都ウィントフックへ。
見るからにきれいな近代都市。
壁にはこんな落書きが。
君の思い描く”成功”とは何だい?
首都ウィントフックからは今度こそ人が乗れる電車が走っている。
それに乗車。
ガタンゴトン列車はひた走る。
車窓から、地平線に昇る朝日が見えた。
一晩中走り続けワルヴィス・ベイに到着。
僕はこれに乗ってきた。
ワルヴィス・ベイは大西洋に面したその名の通り湾に面した町。
そのせいか僕の滞在した数日間、朝方は毎日濃霧が発生する。
町の人に聞いてみると、
『いつもこんな感じよ。むしろ今日は薄い方よ。』
と言う答えが返ってきた。
午後は晴れる。
湾沿いを散歩。
フラミンゴがうようよいる。
羽を広げると結構でかい。
別に片足で立ってはいない。
道路わきのゴミ箱にはフラミンゴの死骸が頭から突っ込まれている。
必然と上を向いた足はゴミ箱からはみ出ている。
見るとこで見れば、
「おおー!!初めて見たー!!」「すげー!!うすピンクー!!」
と感動を呼び起こす出来事となるのだろうけど、
そこら中にわんさかいるし、
普通に両足で立っているし、
扱われ方がガサツだし、
「ああ、いるね。」くらいの感想に落ち着いてしまった。
やっぱり初対面の印象って大事なんだな。
まっとうな1日。
こんばんは、暑いのは嫌いだけど夏は嫌いではないミカミです。
太陽の容赦ない照らし具合とセミのぎらついた鳴き声からしていよいよ夏真っ盛りです。
今日の研修は、
・カボチャのつるの片づけ。
(カボチャの収穫は6月下旬に済み)
もう、冬野菜の準備が始まっています。
・モロヘイヤ、ミニトマト、ピーマン、シシトウを収穫。
ミニトマトって綺麗です。
・長ナス、丸ナスを収穫。
長ナスの採り時は、このセンター分けの分け目がくっきりしたら。
まだ大きくなる長ナスはこの分け目がくっきりしていません。
・長ナス、丸ナスにボカシ肥料を追肥。
・田んぼの水位の調整。
師匠は無農薬、無肥料でお米を生産。
除草はジャンボタニシに任せています。
師匠の仮説によると、ジャンボタニシの出す粘液が田んぼ表面のトロトロ層の形成に携わり、そのトロトロ層が雑草を抑えている。
というもの。
仮説が正しいかどうかは科学的実験をしていないのでわかりませんが(どこか研究してくれないでしょうか)、実際、草は生えていません。
注意点としては、深水にしすぎるとジャンボタニシが稲を食害するそうです。
・先日種まきした大豆のうねの草削り。
うね立ては6月中に済ませてあります。
なぜかというと、7月は梅雨まっただ中で圃場が常にぬかるんでいてうね立てできない可能性も大いにあり、種まきの適期を逃しかねないから。
・サトイモのうね草取り+土寄せ。
でした。
作業終了後、師匠とビールを1缶ずつあけて乾杯。
とりとめもなく、世界史の妙などについて話しました。
師匠は
『インカ帝国はそれでい~んか?』
などと快調にギャグを飛ばし、ニコニコしていました。
僕はもともとお酒が弱いうえに、暑い中1日作業した後に呑んだので酔いがすごい勢いで回り、愉快な気分になりエヘラエヘラしていました。
どう転んでも歴史の1ページには載りそうもないささやかな、でもまっとうな1日でした。
失われるかもしれない美しい場所で、田植え。
こんばんは、国民主権は国民の主権者意識がなければ機能しないばかりか、ひたひたと形骸化していく、という危機感を持っている一庶民のミカミです。
書くのが遅れましたが、6月の中旬に石木ダム建設予定地で行われたオーナー田の田植えに行ってきました。
僕が石木ダム問題を知るきっかけについては
を参照ください。
その後、自分なりにこの問題について調べ、考えました。
事業主体である長崎県と佐世保市の言い分、反対派の反論と反対活動、地権者の思い、新聞記事など。
そして、
『必要性のないダム建設のために地元住民の方々の土地を強制収用し、ふるさとを奪うという理不尽な悪行には断固反対である。』
という結論に至りました。
石木ダムの不必要性については、日本弁護士連合会が2013年に取りまとめ、長崎県知事に提出した
『石木ダム事業の中止を求める意見書』
日本弁護士連合会│Japan Federation of Bar Associations:石木ダム事業の中止を求める意見書
が、客観的立場から、具体的事実を基に、合理的な反論をしています。
言い方を変えれば、長崎県と佐世保市が石木ダムを建設するために恣意的につくり出した建設理由のずさんさを明確に指摘しています。
また、アウトドアメーカーのパタゴニアも石木ダム建設反対を表明しています。
(この記事を読まれたのも何かの縁なので、良ければご自身でいろいろと調べて考えてみて下さい。)
反対の意志を固めたはいいけれど、自分に何ができるのか、とやるせない気持ちを抱いていた時に、地権者の田んぼ(長崎県が強制収用した土地)のオーナー募集を知り、申し込みました。
長くなりましたが、そんな訳で6月中旬に石木ダム建設予定地で田植えをしてきたのです。
当日は青空の下、地元住民の方々と支援者の方々30名ほどが集まり、田んぼ2枚にせっせと苗を手で植えていきました。
「そこ曲がってるぞー。」
「もっとピンと張れー。(目印のついたヒモを)」
など、みんなでわいわいと終始牧歌的な雰囲気での作業でした。
そこは住民の方々が筆舌に尽くしがたい想いを胸に50年近くも反対運動をし続け、守ってきたふるさとです。
そこは小さな川の流れる山あいの美しい場所です。
僕は日本に住む一庶民として、石木ダム建設に反対します。